世の中というのは不完全が当たり前で、それが前提にあるから、今より良い形を作り出していく為に皆で必死に知恵を絞るのだと思います。それは人類が誕生してから連綿と続いてきたことであり、これからも同じだろうと思うのです。
仮に完全なものがあったとしても、それは「今」だけの話で、時代が流れれば不完全なものに成り下がります。
「伝統をそのままに」という言葉をつかい、不完全なものをあたかも完全なもののように崇めて進化を拒む人達はいつの時代も一定数います。
「リベラル」と「保守」といえば相対する存在に聞こえますが、こと憲法改正に置き換えれば、保守派は改憲派、リベラル派は護憲派だったりと、単純に単語で言い表すことは難しく、物事を深掘りしなければ真実に近づけません。
心温まる動物に関するニュースを流して視聴者の信用を獲得した直後に、悪意が潜むバイアスのかかった番組を流して自分たちに都合のいい意見をすりこむマスコミが存在することもまた不完全なのです。
他者から見て悪意を感じることでも、それが自分の本意であれば正論となり、他者がどうこう言おうが関係ありません。
何が正しいのかということ自体、誰も決める事ができないのであって、自分で思い込んだら勝ちという世の中だったりします。
誰がどうとか、これはこうであるべきだとか、こうしなければならないとか、考え方自体も、育った環境で何万通りも存在します。
唯一のルールは法律ですが、それも時代と解釈によって答えは一つでは無いのです。
不完全な世の中で、自分の条理に合った羅針盤を築いて行く為には、物事を客観的に捉えて探求していく意思が必要になってくるのです。
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