承認要求の「強い」人は少し苦手です。「俺は俺は」、「私は私は」の話を聞いていると、どうも疲れるのです。スポットでのお付き合いはできますが、細く長くお付き合いすることは無理なので、割り切り付き合いが必要になります。
本当に誰にも相手にされないのであればそれは寂しい事ですが、最低でも家族や何人かの友達がいれば、少なからず認めてくれる人はいるわけで、それ以上を求める人は、やはり「寂しがり」なのだと思うのです。
自分が所属できるコミュニティーが少ないということも原因の一つかもしれません。
日本人は控えめなので、言葉には出しませんが「俺は俺は」、「私は私は」の人と距離を置く人が多いと思うのです。そうであれば、承認要求が強い人の話し方と話の内容は人から拒絶されてしまい、より一層孤独を深める負のスパイラルに陥ってしまうと思うのです。
しかし、実は他人事ではなく「明日は我が身」だったりするのです。
私は、親も健在、子供や妻や仕事や地域のコミュニティーが最盛期の年頃なのですが、密なコミュニティーといえる内訳は(個別で付き合う人は別)おおまかに、
親関係・親戚関係 2グループ
地域関係 2グループ
友人関係 3グループ
仕事関係 2グループ
妻関係 2グループ
子供関係 3グループ
と意外に少ないのです。これから年齢を重ねるごとに上から順番に他界していくと想定すれば、あと30年もすれば今のコミュニティーは無くなってしまいそうです。
その時には寂しいあまり、「承認要求の強い老人」になってしまっていたらと思うと、ゾッとするのです。
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