感動は、「肯定的な感情」だと思います。感動するときは同時に幸せを感じることができるからです。しかし、年を重ねるごとに感動する場面が少なっていく気がします。いろいろな事象が「経験済み」になっていくからでしょうか。そうであれば「初回」という経験は特別枠で脳に記憶されるような気がします。
感動とは大まかに、驚きの感動、達成の感動、充足の感動、回帰の感動の4つに分類されるそうです。
普段、生活している中で感動というと「達成の感動」がピンときます。学生時代の部活動や、受験、登山やマラソン等、多くの人が過去に経験していますし、兎にも角にも「やり切ったぞ」の感動はひときわなのだと思います。
また、達成の感動を想像する時に付随してくる思考があります。それは「苦労した分だけ感動も大きい」という考えです。
しかし、この思考回路は少し危険を伴います。達成の感動を得る為には「苦労することが前提」になってしまうからです。更には、前提の苦労なくしては感動は得られないという考え方になりがちです。
このような思考回路は、過去の経験が強烈に残っている為、考え方のアップデートできていない部分ではないでしょうか。
今の私なら、感動する為に苦労しなければならないとすれば、面倒くさくて感動しなくていいや!となってしまいます。
例えば、客観的にみて、頑張って山登りをして登頂した時に見る景色と、頂上までヘリコプターで連れて行ってもらい見る景色は同じです。(登山好きの方からは大批判を受けますが)
では、東京タワーはどうでしょう。階段で登って見る景色と、エレベーターで昇って見る景色とはさほど変わりません。エレベーターの方がよっぽど楽でいいやと思います。より感動する為に毎回階段で昇っていく人は稀です。(登山が目的なのか、景色を見るのが目的なのかの違いはありますが)
要するに、もっともっと楽に感動していいのだと思うのです。「感動する回数」が多い方が幸せを感じる回数も多くなります。
苦労しなくても、苦労した場合と同様に感動できる感性を鍛えたるほうが楽しそうなのです。
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