たまたま、18年前位に勤めていた会社の近くを通ったので、あの頃に良く食べていた、会社の目の前の中華料理店を見に行きました。
そこは新しいお店に変わっていて、中華料理店はありませんでした。
不思議な話ですが、当時そのお店は特に美味しいわけでもなく、常連さんも見かけないのですが、いつもそれなりにお客さんが入っていました。
恐らく立地の力が集客の8割位を占めているのでは?と勘ぐってしまうほどでした。
お店のスタッフの勤続年数は短く、コロコロと変わっていました。
しかし、そのお店は何十年も営業しているのでした。
若年だった私は、なぜかその時にふと「箱」ビジネス?と思ったのでした。
お店=箱を置いて食べ物を入れておくだけ。(感情なし)
1.箱はオーナーが置く
2.その箱にスタッフが食べ物を置く
3.お腹の減った客がお金を持って食べに来る。
このうち、1.の箱は1度置いてしまえば、置きっ放し。
3.の客はターミナル駅近の立地なので、毎日お腹が減った人が変わらず一定数いる。
2.のスタッフだけがコロコロ変わる。
当時の私は食事を取りながら、その店で働くスタッフを見て「この店にあなたがいてもいなくても何も変わらないんだよ」と思ったことを強烈に記憶しております。
客からすればその時に、「たまたま働いていた人」 なのです。
非情にも、殆どの会社は「そこに自分がいなくても」存続していくのが現実です。過去に私が勤めた会社も同様に「私がいなくても」続いています。
正にその時に、いつでも取替のきく「部品としての歯車」を見た気がしたのでした。
そして同時に、「起業して自分で会社を経営したい」と思ったような気がします。
歯車人生を否定するつもりはありませんが、せっかく神様が与えてくださった「一度きりの人生」なのですから、一部品としてではなく、自由に人間らしく生きてみたいと思うのです。