死ぬまでにもう一度オーストラリアはゴールドコーストのサーファーズパラダイスへ必ず行こうと思っています。
当時は路面電車「トラム」など無かったし、もっぱら車社会でした。ジャパニーズマーケットの入り口に「シェアメイト募集」、「車売ります買います」、「一緒にラウンドいかがですか」など、様々な紙が貼ってあり、日本人コミュニティーの大切な掲示板でした。
まだ、携帯電話も無かった時代で公衆電話は30セントでかけ放題なものだから、まず空きません。今はどうか知りませんが、当時のオージーの若者のほとんどが真面に働いておらず、遊んでばかりでした。( ´艸`)
私はお金が無かったのでホテル裏のアパートメントに日本人と住んでいました。※その前はカナダ人のおばちゃん宅に住んでいました。
思い出のアパートメントは随分と古い建物でしたので、恐らく取り壊させているだろうと思います。( ;∀;)
毎日のように食べた最寄りのケバブ屋はやる気が無く、客もいないのに20分~40分も待たされました。
アパートメントは町の中心地から近く、ビーチ沿いのエスプラネード(海岸線)沿いでしたので目の前は海、波チェックはラクチンでした。
スマホがある今であれば当時の何百倍も楽しめるだろうと思います。
コロナが収束したら家族を連れて必ず行こうと思っているのです。( ´艸`)
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